アメリカ人と日本人が「ずるいと感じる差」を社会学的に考察
先日
ついヒトさんがアメリカ留学中に
体験された内容の記事を
興味深く拝読させて頂きました。
内容を要約致しますと
アメリカでは日本人から見たら
ずるいと思えるような言い訳が
あっさりと通用するので
留学中のついヒトさんも
「郷に入りては・・」の精神で
試しに頼んでみることにした。
「自分は英語ネイティブでは
ないため、試験中に知らない
言葉が出てくることもある。
それは不利である。だから
試験中に辞書を持ち込ませて
もらえないだろうか。」
すると意外にも、周囲に
反対する人は誰も出なかった。
そのため、ついヒトさんは
あっさりと
試験中に辞書を持ち込む許可を
得ることができたのである
という内容です。
これ、着眼点が日本的で非常に
おもしろいなーと思いつつ拝読
させて頂きました。(*'▽')
ついヒトさん、
ありがとうございました。
実はこれ、
日本とアメリカ社会の
「平等・公平社会の違い」
から起きた現象なのです。
なぜ違いがあるのかというと
両国の歴史の違いが
原因となっております。
そういった歴史の違いも含めて
アメリカと日本社会の観点の相違
についてご説明させて頂きたいと
思います。
それでは早速
スタートゥ!('ω')ノ
例えば
背の高さの違う3人で
壁の向こうの景色を
見ることになったとします。
まず、 日本は
五人組制度からもわかるように、連帯責任・相互監察・相互扶助を基盤とし、足並みをそろえて行動することを良しとする集団主義が基盤となっています。
戦時中の教育も然りです。
また、古来から災害が多いことも、集団主義の考えを一層深める一因となりました。
そのため「同一性」(みんな同じよ!)という考えが社会に浸透しました。
だから3人の背丈が違っても、
全員に同じ台座が与えられます。
(=平等)
従ってそれを「ずるい」と感じる日本人は、殆どいません。
ところが逆に、公平性を重視して、一人一人の背丈に合わせた台座を与えると、公平性に不慣れな日本人は、違和感を感じてしまいます。
「あいつばっかりずるいじゃん」
ということになりかねません。
一方、アメリカでは
南北戦争以降、黒人差別反対運動、戦争障がい者差別反対運動、女性差別反対運動など「~差別反対運動」が盛んに行われるようになりました。
そのため「多様性」(一人一人違うよ)という考えが社会に浸透しました。
だから個々の背丈に合わせた台座が
与えられます。(=公平性)
従ってそれを「ずるい」と感じるアメリカ人は、殆どいません。
ところが逆に、平等性を重視して全員に同じ台座を与えると、平等性に慣れていないアメリカ人は違和感・不満を感じてしまいます。
つまり、
「平等」が基盤の日本社会と
「公平」が基盤のアメリカ社会との
差があるわけです。
言い換えると
全員に同じ対応をする日本社会と
個人の事情に合わせた対応をする
アメリカ社会との差、
ということになります。
従って、ついヒトさんが試験中に
辞書を持ち込む許可を
あっさりと得ることができたのも
「はるばる日本からやってきた
留学生の言葉のハンデや事情に
アメリカ社会が対応した結果」
だと言えます。
歴史的社会性の違いですね。
面白いですねー。
次回に続きます。
ご精読ありがとうございました。
( ^^) _U~~
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