「死を恐れて楽しく生きよ」兼好法師とメメント・モリの共通性
人生を楽しまざるは
死を恐れざるが故なり
とは兼好法師のことばです。
意味は
「人生をつまらなそうに
生きている人は
死を恐れていないからである」
ということです。
言換えると
自分は死が怖い。
だからこそ
生きている間に存分に
生を楽しみたいのだ
ということです。
これは古代ローマの
メメント・モリ
というラテン語の言葉に
通じるものがあります。
メメント・モリとは
自分が
死ぬということを
忘れるな
という意味の言葉です。
ですが
決して悪い意味ではなく
だからこそ
今を楽しもう
という
プラスの趣旨が強い言葉として
使われています。
古代ローマは紀元前
753~476年
兼好法師は
1283~1352年(推定)
実に
2000年以上の時代の隔たりや
国や文化のちがいや
環境のちがいが
あったにもかかわらず
双方同じようなことを
伝えているのが
とても興味深いですね。
きっと
古代ローマの人も兼好法師も
精神的または身体的、或いは両方に
さまざまな苦しみや葛藤の末
最後にたどり着いた
結論なのではないでしょうか。
ところがメメント・モリは
後世に下り、キリスト教の概念で
真逆の考え方に変えられました。
そもそもキリスト教は
天国・地獄・魂の救済という
「死への意識が高い宗教」
です。
現生よりも死後や来生に
重きが置かれています。
キリスト教大好きダンテの神曲も
天国への憧れが強い作品です。
(とはういものの天国には
光しかなかったような?)
従ってキリスト教における
メメント・モリとは
「現生での楽しみは空虚で
むなしいもの」
として位置づけられるように
なりました。
どちらが良いのか正しいのか
ということは今ここで
あえて言及しませんが
どちらの方が
自分の好みかと言うと
断然私は
兼好法師や元来のメメント・モリ
の方が好きですね。
つらい経験をしたからこそ
明日にでもコロナや交通事故で
死ぬかもしれないからこそ
日々、大いに生を
楽しむしかないと思うのです。
最後にもう一度
繰り返しておきます。
人生を楽しまざるは
死を恐れざるが故なり
=メメント・モリ
みなさん、生きていると
いろいろと辛いことに遭遇する
かもしれませんが
生のあるうちに
己の人生を
めいっぱい
楽しんで
行きましょう!
それではまた。
(*^▽^*)
参考文献:「モオツァルト・無常という事」 小林秀雄 新潮文庫