(マンガ) 学校さぼって九死に一生「原爆じいちゃん」
<学校さぼって九死に一生
原爆じいちゃん>
無線技師だったじいちゃんは
当時東京の大学(現・電通大学)へ
通っていました。
気のやさしかったじいちゃんは、
気合いが足りんと言われ、
いつも海軍の上司から毎日毎日
殴られてばかりいて辛かった
そうです。
そんなとき一時休暇が許された
じいちゃんは、喜び勇んで長崎へ
帰省しました。
そしてその晩、
さっそく友人へ電話。
後の話はマンガの通りなのですが
この二人の友情は
友人が80歳で他界するまで
ずっと続いたそうです。
じいちゃんの友人は、
「わい(じいちゃん)のおかげで生き延びられた。ありがとう。」
といつもいつも
感謝の気持ちをじいちゃんに
伝えていたそうです。
新型コロナの影響のため
私達の生活にも制限が入り
窮屈な思いをしたり
不安な思いをしたり
しておりますが
戦争体験者からみれば
全然マシなのではないでしょうか。
下の地図は長崎市の
爆心地の地図です。
原爆で全壊全焼した地域は
2キロにも及びました。
当時じいちゃんの友人は
長崎医科大学(現・長崎大学)へ
通っており
爆心地からわずか500Mのところに
校舎がありました。
旧じいちゃん宅は
全壊全焼を免れたのですが
とても住めるような状態ではなく
原爆投下数日後、家族みんなで
食べ物も飲み物も休む場所も
ほとんどない状態で
地獄のような長崎市内をぬけて
リヤカーを引きながら
1週間ほどかけて
100キロ先の親戚の家へ
命からがら
身をよせたそうです。
この話は
身内しか知らない話だったのですが
原爆記録エピソードの一つとして
後世の方々にも
是非お伝えしたいと思い
今回記事に起こすことに決めました。
学校さぼって
原爆逃れ
唯一の卒業生
となった友人。
私も50過ぎまで生きてきて
死にたいけど死ねないという経験や
長年信じてきた人に裏切られたという経験があるのですが
(誰しも多少はそういう経験があると思いますが)
人間万事塞翁が馬
ということで
人間何が吉凶になるか分かったもんじゃありません。
そういう経験があったからこそ
ついた知恵というものもあります。
だから現在では
辛いことがあっても
あるがままに受け入れて
(数か月かかりますが)
ヒョウヒョウと
過ごすように心がけております。
自分でコントロールできないことを
悩んでいてもムダですね。
そして
残された愛する家族と犬と
平凡だけど穏やかな毎日を
日々愛おしみながら
できるだけ楽しく笑いあって
残りの人生を生きていけたらいいな
と思います。
最後に
前線でがんばっておられる
医療従事者及び
亡くなった方、生きている方問わず
お世話になった、或いはお世話になっている全ての方々に
深謝の意を表します。
おしまいです。
ご精読ありがとうございました。