第1次産業人口激減に相関する干支(えと)を知らない子供たち
「さて、来年の干支(えと)は、なんでしょうか?」
「ねーうしとらうーたつみ、うまひつじさるとりいぬい
(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)って知ってる?」
10年ほど前に、私は何人かの小学生に質問したことがあります。
すると大抵の子供たちは、首をかしげながら次のように答えます。
「知らない。」
「なにそれ?」
「・・・・。(沈黙)」
中にはスパッと答えられる子もいましたが、殆どの子供たちにとっては、聞きなれない言葉だったようです。
なんとまあ、ここは本当に日本なのかしら?
がっかりした私は、干支について子供たちに説明します。
するとやっと半分くらいの子供たちが
「あ~、知ってる知ってる」
とナイスな反応を示します。
実は小学2年生の国語の教科書には「十二支のはじまり」というお話しが載っているのですが、現代の子供たちは干支を知らない子が多いのです。
ではなぜ現代の子供たちは、干支への認識がないのでしょうか?
その答えには、以下の4つの理由が考えられます。
①「十二支のはじまり」は教科書に載っていても巻末ページにあるため、授業では取り扱われることがないから
②年賀状習慣の減少に伴って、干支を意識する機会が減少したから
③親子間のコミュニケーションが不足しているから
④※第1次産業人口が激減したから
※農業・林業・水産業など
恐らく①~③まではフムフムと納得される方が多いと思うのですが、④にきた途端、
「なぬー?第1次産業人口と干支??一体何の関係があるの??」
と一気に疑問を感じる方が、少なからずいらっしゃると思います。
それが、大ありなんです。
こちらのグラフをご覧下さい。
(図1)産業別就業者割合の推移
出典元:大正大学 地域構想研究所
https://chikouken.jp/report/9225/
1940年代の第1次産業人口の割合は44.3%。
1948年に農業協同組合(以下JA)が発足し、1950年代には48.5%とピークを迎えます。
しかし池田内閣による「国民所得倍増計画」、1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博により、※第2次産業人口の割合が増加していきます。
※製造業・建設業・電気ガス業など
そして現代では周知のとおり、※第3次産業人口が7割を超えています。
※サービス行・小売業など
2015年の第1次産業人口の割合は、わずか4%となってしまいました。
(参考文献:大正大学 地域構想研究所)
この事実に鑑みると、第1次産業人口の激減に伴って、JA利用者人口も激減したということが考えられます。
実は、このJA利用者人口の激減が、今回の問題の大きな原因となっているのです。
ではなぜJA利用者人口の激減が、子供たちの干支認識率低下を招いたのでしょうか。
それは、ずばりJAが毎年利用者に配る「干支の貯金箱」が影響しているから、と考えられます。
地域性にもよりますが、私の子供時代には、多くの家庭にJAの貯金箱が一年中、目立つところに飾られていました。親戚や友達の家でもよく見かけました。
この貯金箱は、来年の干支の動物がモデルになっているため、一通りそろえるには12年かかります。みなさん、必死で集めていたと思います。
ねずみと牛がいたら、ついでにトラも欲しくなるのが、人間魂というものです。JA利用者は、老若男女問わず誰でもこの「十二支トラップ」に引っかかっていました。
色とりどりにずら~と並べられている干支の貯金箱がある家は、当時の子供たちの憧れの的でした。しかもとってもかわいいのです。
そのため年末になると
「来年は何年(なにどし)かな?どんな貯金箱がもらえるのかな?」
「そろそろ年賀状に描く干支の絵をどうしようかなぁ」
とワクワクしたり悩んだりする子供が多かったのではないでしょうか?
また、昭和の子供たちの年賀状には「来年の干支を描く」という暗黙のルールがありました。コピー機が存在しない時代だったため、1枚1枚手書きで描くことになります。
そうすると、20回ほど同じ干支の絵を描くことになり、いやでも来年の干支を意識せざるを得ません。
おまけに、先生には上手に描けたハガキ、あまり親しくない人には失敗したハガキを送ろう、というように、1年間の自分の人間関係を振り返る機会にもなります。(笑)
つまり、子供たちの干支認識度の低下の原因は、年賀状習慣の減少を含め、時代変化による要因もありますが、第1次産業人口の激減により、昔は各家庭で1年中飾られていたJA貯金箱が消滅し、そのため子供たちが干支を目にする機会が激減したから、と考えられます。
う~む、昭和生まれのオバサンには少し寂しい気がしますね。
ですが先日、メルカリにて懐かしきJAの貯金箱を発見しました。どのようなものなのかご興味のある方は、どうぞそちらでご確認くださいね。
ご精読ありがとうございました。