ヘルプマークに教えられた社会のやさしさ
ソボは複雑性PTSDとパニック発作のため、恐怖で動けなくなったり、突然力が抜けて失神してしまったりすることがよくありました。
その頃のソボは、外出先でバッタバッタと倒れては私か主人が迎えに行く、誰も迎えに行けないときは、自力で3~5時間かけて帰宅する、という日々を送っていました。
そのような生活を何年も続けていたため、家族全員、体力的にも精神的にもヘトヘトになってしまいました。
そこでどうしたものかと図書館で関連雑誌をパラパラとめくっていたところ、ヘルプマークの存在を知ることができました。
家族だけで対応するのは、すでに限界を越えていましたので、思い切って社会の力をお借りしようと思いました。そして早速カバンにヘルプマークをつけてみることにしました。
ところで話は変わりますが、ここで本題に入る前にまず、ヘルプマークについて先にご説明させて頂きたいと思います。
ヘルプマークとは、東京都が作成したピクトグラム(何らかの情報や注意を示すたための記号、絵文字)です。有名なピクトグラムの一つに、非常口マークがあります。皆さんも一度は目にされたことがありますよね。
それではヘルプマークには一体、どのような意味があるのでしょうか。
以下の文章は、東京都福祉保健局HPから引用させて頂いたヘルプマークの説明になります。
(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html)
義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助を得やすくなるよう、作成したマークです。
(中略)
ヘルプマークを身に着けた方を見かけた場合は、電車・バス内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。
つまりヘルプマークは、一見、障害や病気を抱えているようには見えない人のためのサポート用ピクトグラムなのです。待ってました!という感じですね。
ヘルプマークは無料で入手することができます。配布元は地域によって異なりますので、ご希望の方は、各市町村の福祉課や保健所などにお問い合わせください。
さて、前置きが長くなりましたが、これからやっと本題に入りたいと思います。
今回は、「ヘルプマークに教えられた社会のやさしさ」についてご紹介させて頂きます。
ヘルプマークに教えられた社会のやさしさ
JR駅員さんの連携プレー
駅構内で倒れると、症状が落ち着くまで救護室で休ませて頂くことができます。
とてもありがたいです。
しかしある日、診察のためにA駅からB駅まで急いで移動しなければならない日がありました。
その時は、駅員さんに
A駅で乗車する車両の優先席まで車椅子で連れていってもらう⇒
電車がきたら優先席の座席を確保してもらう⇒
乗車する
という工程をサポートして頂きました。
(乗車したことを確認すると駅員さんはそのまま帰ります。)
そして迎えに行く側(私)は、B駅の指定されたホームの車両へ向かいます。
B駅に到着すると、すでにB駅の駅員さんが、車椅子を準備して待機しておられました。電車が到着すると、ソボの下車を手伝ってもらい、車椅子でタクシー乗り場まで送って頂きました。
おかげ様でその日は診察時間内に病院へ行くことができました。
私はこの日のJRの駅員さんの連携プレーの素晴らしさに、感動と感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
職務とはいえ、とても親切でテキパキとサポートして下さる駅員さんの存在がとても心強く感じられ、社会に対する安心感が生まれました。その節は、本当にお世話になりました。
学校での配慮申請
校内でも頻繁に倒れてしまうため、学校側にも事情説明をさせて頂きました。その際に、「配慮申請」というものがあることを教えて頂きました。
配慮申請によって、こちらの事情が全て受け入れられるというわけではありませんが、学校側からできる限りのサポートをして頂けるということで、大変助かりました。
そのサポートの具体例として、次のようなものがありました。
- 授業内で暴力的・攻撃的映像や説明が入る場合は、事前に告知する
- 具合が悪くなった場合は、会話をする余裕がないため、無断で中座することを認める、などです。
担当の職員の方に、このようなお気遣いを提案して頂いたことや、申請書類を丁寧に作成して頂いたことが、身に染みてとても嬉しかったです。本当にありがとうございました。
学校・駅・電車内の通りすがりの人々
倒れたときは必ずどなたかが「大丈夫ですか」「(席を)どうぞ」「お手伝いできることはありませんか」と声をかけて下さいます。結構頻繁にお声を掛けて頂けます。
世の中には親切な人が結構いるものです。涙が出るほどありがたいですね。
世の中、本当に捨てたもんじゃありませんよ。
まとめ
ソボは、JRの駅員さん、学校関係者の方々、通りすがりの人々に、何度も何度も助けて頂いたことがあります。とてもありがたいです。
結局世の中は
捨てる神あれば拾う神あり
ということなんだなぁ、としみじみ感じました。
ソボは、捨てる神によって傷つけられましたが、拾う神によって救われました。
職務だろうが親切心からだろうが、理由は関係ないのです。サポートしようとして下さるそのお心遣いが、私たちにとって、とてもありがたいのです。
恐らく今までのソボは、捨てる神だけに捕らわれていたため、身も心も視野狭窄だったのではないでしょうか。
(相貌失認だったので仕方ないのですが)
その後、相貌失認が矯正されてから、社会に触れ合う経験を通じて
「世の中は拾う神の方が多いんだ~」
ということに気が付くことができました。これからは拾う神の方の考え方に標準を合わせて生きていけると思います。
相貌失認ゆえに辛い思いをしてきたソボですが、人々の優しさに触れる経験を多く重ねることができて、幸せだと思います。これが「災い転じて福と成す」ですね。私まで幸せな気持ちになりました。
どうか、私もソボ自身も、世の中の人々も、素敵な「拾う神」になれますように。