相貌失認 矯正後に社会的マナーと対人スキルを教える必要性について
相貌失認の人は、困難を抱えながらも何とか日常生活を送ることができます。しかし、相貌失認の見え方の特徴上(下記参照)、成長の過程で「社会的マナー」や「対人スキル」を学ぶことができません。そのため私は、相貌失認が矯正された後のソボに、様々なことを教える必要がありました。そこで今回は、ソボに教えたマナーやスキルの内容をご紹介したいと思います。
相貌失認についてご存じない方は、下記<相貌失認の見え方の特徴>と<相貌失認の問題点>をご覧ください。すでにご存知の方は<ソボに教えた社会的マナーと対人スキルについて>へお進みください。
<相貌失認の見え方の特徴>
- 認識できる範囲がせまいため、風景全体が認識できない。
- 注目した部分だけがインパクトを伴って、拡大して見える。
- 色がうすくぼんやり見える。
- 世の中が写真のように平面的に見える。
<相貌失認の問題点>
- 周囲の状況や人間関係を把握できない
- 人の顔と表情が認識できない
- 音や言葉を額面通りに受け止める
- 距離感がつかめない
- 迷子・ケガが多い
- 友達を作ることが難しい
- 整理整頓が苦手
<ソボに教えた社会的マナーと対人スキルについて>
社会的マナーにについて
人との物理的距離を空ける
迷子になりやすいソボには「人に寄り添って歩く、または人の服の裾を掴んで歩く」という習慣がありました。そのため互いの手がゴンゴンとぶつかってしまい、とても歩きにくいのです。人と並んで歩くときは、手先から肘ほどの距離を空けて歩くように教えました。
パーソナルスペースに入らない
距離感が測れなかった時代の名残なのですが、人に近づきすぎると感じました。特に対面する場合は短くても腕一本分は空けるように教えました。
公共の場で足元に荷物を広げない
ロッカーを探すのが大変だった時代の名残なのですが、荷物をすぐに取り出せるように、足元に多くの荷物を置く習慣がありました。ですが、通行の妨げになるのでやめるように教えました。
電車の中では声を潜めて話す(関東ルール??)
周囲に人がいることを認識できなかった時代の名残なのですが、電車内で話す声がやや大きかったため、迷惑になるので声を潜めて話すように教えました。
身なりを整える
相貌失認時代は周囲の人も自分の姿も認識することができなかったため、身なりを整える意味がわかっていませんでした。矯正後は、人に不快感を与えない程度に、身なりを整えるよう教えました。現在はラフファッションですが、いつも小奇麗にしています。
対人スキルについて
ノンバーバルコミュニケーションを学ぶ
人の言葉を額面通りに受け止めるのではなく、表情や身振りも参考にする。
喜怒哀楽には強弱の幅があることを学ぶ。
人の表情は多種多様であることを学ぶ。
人の顔の方を向いて会話をする。
人の様子を伺う習慣をつける
特に用事がなければ、機嫌の悪い人・怖い人に近づかないようにする。
人はいつも機嫌が良いとは限らない。良い日もあれば悪い日もある。
人に声をかけるときは、タイミングを見計らう。
スル―スキルを身につける
目立つ人や怖い人がいたら、見て見ぬふりをする。
絡まれたらその場から立ち去る。
無理なことを要求されたら「できない」とはっきり断る。
聞きたくない話がでたら、無理に聞こうとせず話が終わるのを待つ。
人と自分の心の境界線を作る
人の問題を必要以上に自分のことのように考えない。
他人の負の感情に引きずられない。
人と自分を比べない。
あとがき
相貌失認だったソボは、私がどれだけ注意しても、社会性やマナーを身に着けようとはしませんでした。人にも無関心で、流行物に興味を示すこともありませんでした。いつも自分の世界の中にいるような感じで、人と交わろうとせず、アリや葉っぱや虫、時には空中のホコリをずっと見ているような子でした。私はソボのそんな行動に大いに悩まされたものです。
今は発達障害という言葉が社会に浸透しています。ソボの言動はアスペルガー症候群の症状とよく似ています。実際に1度だけそのように診断されたことがあります。しかし現在は撤回されています。ソボの診断名は相貌失認症だけになりました。
現在は矯正メガネをかけて、マナーやスキルを発揮(しているかどうかは分かりませんが)しながら無難に大学とアルバイトに通っています。ここ数か月はスイミングやジョギングも始め、体力作りにも励んでいます。
まだまだ危なっかしいところもあるのですが、今後は静かに見守っていきたいと思います。相貌失認が矯正されたことで周囲が認識できるようになったため、ソボ自身も自ら社会的マナーや対人スキルを磨けるようになりました。だからソボの生きる力を信じ、自立に向けて少しずつ親との距離を離して行こうかと思います。